ますだいっこうのあと@ベルリン

在ベルリン/俳優・ゲイ/演劇コーヒー映画アート読書都市旅ドイツ語/ikko119[あっとまーく]gmail.com

乗越さんの「コンテンポラリー・ダンス=荒野/公園論」

細々コマゴマあるいはダラダラだけど少なくともノンアルなマンデー。校正仕事はあいかわらずなし。最近ベストセラーな生活改善本?仕事能率化本?に従えば日々の気遣いで処理できるレベルだ。ふへー。

ティップネス中野。ストレッチマット上でまずアキラさんと一緒になって、さらに「ますださん!」て呼ばれてしっかり“左”を見たらば、つづちゃんこと都築智子さんがいた。ひゃっ。あちこち伸しながらダンストーク盛りだくさんする。筋トレ、汗だくバイク50分。

タックスノットに顔を出す。青山さんママの月曜、トップバッター。直道さん作の和フレーバー男子裸像アクリル画鑑賞、ファイルが増えてってるマイベスト10映画話などあれこれ。途中Nさんが登場して久しぶりぃ。青山さんから『MISHIMA』のビデオ拝借。やっと塩野谷さんが観れる! でもテレビデオをどうしたもんだか。

ニチョ路上呑み。僕だったらどれになるのかな、と過去映画をポツポツ挙げてみた。ロング缶1本でサクッと帰宅。

つらつらとダンス評論家・乗越たかおさんのブログを遡った。現代詩手帖3月号掲載の「背後に広がる、荒野でこそ踊れ」と題した一文で展開された「コンテンポラリー・ダンス=荒野/公園論」。抜粋がアップされていた。カッチョイイ。泣けた。ので勝手に転載。すんまそん。買い損なってるこのシテチョー、ゲットせねば。

「 すでに固定したジャンルとして存在しているように見えるようだが、コンテンポラリー・ダンスなんぞというものは、いわば荒野みたいなものなのである。なにもない、そのかわり何を持ち込んでもいい、ただ広いだけの場所。だが時間を経るにつれ、だんだん人気のある滑り台やブランコなどが残ってきて、一部「公園」化してきている。それはジャンルとして熟成されてきたということで、悪いことではない。しかし中には「正しいコンテンポラリー・ダンス」を知りたいという、とてもマジメだが見当違いの努力に励む人も出てくる。彼らは「荒野」の広さが目に入らず、目の前の「公園の遊具」こそがコンテンポラリー・ダンスだと思いがちである。
 しかし「コンテンポラリー・ダンスの答え合わせ」みたいな作品はもういいよ。
 (中略)
 和気藹々の公園に背を向けて、荒野の孤独と、死ぬまで踊る自由さに親しみを持つ者こそが真のダンスを得る。僕は、そういう者のためにこそ書く。」