ますだいっこうのあと@ベルリン

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サシャ・ヴァルツ『ケルパー』

ikkomasuda2007-07-29


参院選朝一投票。以前から選挙というか選挙運動自体のムラ的色合いが苦手なところへ、今回は同性愛者であることを表明した立候補者に対する、レズビアン&ゲイ関係者ごく一部だけれども「ああここでもそうなっちゃうのか」的反応にちと疑問を抱きながらも、あくまで国民の権利として淡々と行使。

B誌原稿書き@スターバックス高田馬場。まずは半ばまで。

埼京線は荒川を渡るあたりで雷雨に見舞われ徐行運転。隣の女性二人は冷静に雷光と雷鳴の時差から距離を暗算していた。その後の会話中ピナ・バウシュはオランダの舞踊団ということになっていた。

サシャ・ヴァルツ&ゲスツSasha Waltz & Guestsケルパー(身体)Koerper』@与野本町彩の国さいたま芸術劇場大ホールを観る。

ロビーにてダンスな人々と、案の定なバッタリ続く。うれし。年上世代なフライングステージのお客様からもお声をかけていただいた。ありがたや。

まずは相性悪い最果ての国劇場で前方D列だったことに感謝。後方だったらまた置いてかれる恐れありではないかと。それでも開演直後やや暗め照明の淡々と進むダンスには「やっぱり遠いかも」と。思ってるうち、じわじわぐいぐいがっつり引き込まれ目が離せなくなり、ノックアウト。

そんなでした。

いわゆる“身体論”的な作品、あ僕が観た範囲のですよ、の口悪くいえば類似的な抜き型からは、はみ出した余白、というか余分というか隙間やニッチじゃ小賢しいんだよなウーム、に、しかしながらちゃんと存するseinする体を視た、というのが、わけわからんよねースンマセン、ひとつの言い方。

あるいは劇場で舞台を観る感覚とは違くて、美術館でインスタレーションに接する感覚がした、という言い方もあるか。

いわゆる“音楽”は確かワンシーンだけ、アコーディオン調のがムーディーに流れはするけれど、あとはずっとノイズ。ときおり振り返っちゃうくらい具体的にピンポイントで聞こえてきたりもした。そんなで、かろうじて微笑ましいはあっても笑えるパートはほぼない。ビジュアルの印象も黒と白と肌色って感じ。だからって禁欲的な、禁欲的を意地悪くいえば視野狭窄的なとかはまったく覚えなくて。不思議だなぁ、不思議な息をひそめながら僕は客席にいたなぁ。

ダンサー視姦的にいえば、まぶっちゃけ自分は外専ではまったくないわけなんですがー、裸や皮膚をみてもエロを透過してしまっているように視えて、だからといって色気がないわけじゃなく、凛とね“そこにあったよね”みたいな。

コレはナニナニをショーチョーしてる的な話もできる、そういう意味の突っ込みどころも満載でありながら、そういうのはヌキにして脳味噌を乾燥してくれるのが気持よくってね。ああそこだな、うん。

観られてよかった、ベルリン旅行の仕上げみたいな気分でした、勝手に。さらに勝手&意地悪で思ったのは、2000年初演のこの作品がもっと早く日本に来てたらいろいろ“違って”たんじゃないか、ってこと。